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【会津若松パワースポット】蒲生氏郷公や秋篠宮紀子妃ご先祖の眠る墓「興徳寺」仙台発🚃日帰り旅【青春18きっぷの旅】

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歴史ある会津若松では、街ナカで
歴史探検が出来る穴場スポットは、
ありますか?

旅行大好き LiCoのオススメ!
「鶴ヶ城」からの帰り道の商店街で
会津の偉人の観光スポットを発見✨
「興徳寺」さんをご紹介しますね!

JR線の普通列車が1日当たり2,410円で乗り放題の「青春18きっぷ」を利用して、仙台から福島県への日帰りプチ旅行を楽しみました✨

仙台から会津若松へは、車でも高速道路を利用すると片道:2時間20分。

春はサクラ🌸、秋の紅葉🍁など、山と川が織りなす会津若松の自然が一年中楽しめますよ🎵

仙台発→福島県のルートですが、福島県→仙台へも「青春18きっぷ」を使えばお得にプチ旅行が楽しめます♬

当ブログでは、仙台でお手頃価格でオススメのお店をご紹介いたしておりますので、ぜひご参考になさってください!

もくじ

「鶴ヶ城」の帰り道に偶然発見!

「鶴ヶ城」からの帰り道、入場券の販売所のお隣りにある「観光案内所」さんでバスの時間を確認しました。

タイミング的に16:20のはいからさん号に乗車すると、16:55に会津若松駅に到着するそうで、ご親切に時刻表に〇をつけてくださった時刻表をいただきました。

「会津若松駅」から「鶴ヶ城入口」までは20分で到着しましたが、循環バスなので、帰り道は35分もかかるみたいです💦

バス停でバスを待っている間に、夕食に予定していたソースカツ丼の「若松食堂」さんへの道のりを検索していたら・・・。

えっ・・・。「鶴ヶ城」から徒歩で20分?!

お天気も良かったので、歩いて行くことにしました!!

この帰り道に、まさか何か所ものパワースポットに遭遇するとは思いもしませんでしたが、さすが歴史の町、会津若松ですね😲

バスで通ってきた北出丸大通りの道のりを戻ります。

少しすると「神明通り(しんめいどおり)商店街」があり、神秘的なパワーを放つ場所がありました!

商店街の通り沿い、TSUTAYAさん(2022年6月閉店:看板は残っていました)の跡地の向かい側に「神明神社(しんめいじんじゃ)」さんがありました⛩

神社の名前が由来の商店街だったのですね!

JR会津若松駅から徒歩約15分、七日町駅から徒歩約13分なので、街中のパワースポットです✨


「神明通り商店街」では、台北の街並みみたいに屋根がついていました!

雪が降っても大丈夫なようにでしょうか?!

歩道も広くて、雨にも濡れずにショッピングが出来るので、羨ましいです🎵

商店街を会津若松方面へ進むと石碑がありました!

蒲生氏郷(がもううじさと)の墓」?!

行ってみることにしました~!!

「興徳寺」とは?

時間の関係で本堂のエリアには入らずじまい💦

興徳寺(こうとくじ)は、福島県会津若松市栄町に所在する臨済宗妙心寺派の寺院。山号は瑞雲山。

弘安10年(1287年)、蘆名氏第5代蘆名盛宗が鎌倉より大円禅師を招き開山したと伝えられる。その後、蘆名氏を滅ぼした伊達政宗が会津支配の仮館をおき、また豊臣秀吉が奥州仕置の御座所とした。蒲生氏郷により200石の寺領が与えられ、城下町が整備され寺院が郭外に移された際も、その由緒と格式により唯一郭内に留まる事を許された。

(旧暦)慶応4年閏4月20日に勃発した会津戦争( 戊辰戦争)にて、堂宇(堂の建物)をことごとく焼失したため、現在の興徳寺に昔日の面影はない。本堂の再建には、鶴ヶ城の解体時に発生した廃材を再利用している(現在の本堂は1964年(昭和39年)にコンクリート造で建立されている)。

現在、寺内には蒲生氏郷の五輪塔(墓)があるが、これは氏郷没後に子の蒲生秀行によって建立されたもので、病のため京都で亡くなった氏郷の遺髪が収められている。また、すぐ脇には氏郷の辞世の歌碑も立っている。

※Wikipediaからの引用

いざ、「興徳寺」へ!

「興徳寺」さんは、「神明通り商店街」の東側の裏路地に入った所にある寺院です。

三門の左右にある金剛力士像(こんごうりきしぞう)が迫力満点!

こちらの三門は新しく、2022年(令和4年)8月に建立されたみたいです。

かつては、伊達政宗が会津支配の仮の政庁を置き、また秀吉が奥州成敗の際にはこちらの興徳寺さんに宿泊したこともあるほどの大寺院だったそうですが、現在の境内はさほど広くはありませんでした。

サクラが咲く境内を進みます。

ツバキの花も美しかったです✨


蒲生氏郷公の墓

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将「蒲生氏郷公」の墓がありました。

蒲生氏郷とは?

「蒲生氏郷公」は、会津若松の城下町の整備や、漆器の会津塗、焼き物の本郷焼などの産業を興した文武に優れた名将ですが、わずか40才でこの世を去りました。

戦国の英雄「織田信長」の寵臣で、信長の娘「冬姫」と結婚し、小田原討伐の功により「豊臣秀吉」から会津を拝領しています。

豊臣秀吉の怒りに触れて、切腹を命じられた千利休の茶道が絶えるのを惜しみ、利休の子少庵(しょうあん)を会津にかくまい、徳川家康とともに秀吉に千家の再興を願い出たことが功を奏し、再興を許されたそうです。

この時に建てられたのが「鶴ヶ城」にある茶室「麟閣(りんかく)」と伝えられています。

本墓は京都の「大徳寺」にあるみたいですが、こちらの「五輪塔」に遺髪が納められています。

「空・風・火・水・地」の5文字が刻印された「五輪塔」は、万物の構成要素、宇宙の元素が表現されているそうです。

墓前に「限りあれば吹かねど花は散るものを心短き春の山風」の歌碑がありました。

会津史談会が昭和28年に蒲生氏郷公360年祭を記念して建てられたものだそうです。

供養顕彰「七層天守」や牛の像もありました。

松平容保の歌碑

幕末会津藩主「松平容保公」の歌碑がありました。

百年(ももとせ)を
三たび かさねし若松乃
さとはいくちよ
栄え行らん

秋篠宮 紀子妃の御先祖の墓

秋篠宮 紀子妃、父方の御先祖「池上家」の墓もあるみたいです。


偶然、ふらりと立ち寄った「興徳寺」さんは、会津の偉人「蒲生氏郷公」や秋篠宮紀子妃ご先祖の眠る墓のある隠れスポットで、立ち寄る価値は大いにあると思います。

「鶴ヶ城」を訪れた際には、帰り道に「興徳寺」さんにも参拝してませんか?

アクセス

〒965-0871 福島県会津若松市栄町2−12

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